「働く」ということについて書こうと考えて、何か参考になるものをと思いググって見ました。見つけたのが、社会学者ロバート・ベラーさんが提唱している「ジョブ」「キャリア」「コーリング」という考え方でした。*サイエンスシフトさん未来を考える参照
「ジョブ」「キャリア」「コーリング」
生活していく上でお金が必要だから働く、必要なお金があるのであれば、働かないという考え方が「ジョブ」。働いていく上で、経験を積んで、実績を上げていって、組織の中あるいは社会の中での役割の段階を上がっていくことを目指すのが「キャリア」。仕事そのものあるいは「働くこと」そのものに価値を見出して、働くことそのものに価値を感じるのが「コーリング」。
なるほどなと思いました。
この中で、「ジョブ」と「キャリア」という言い方は知っていましたが、「コーリング」は知りませんでした。試しに翻訳ソフトで「calling」と入れてみると「呼び出し」という訳のほかに「天職」という訳がありました。同意語で「lifework」がありました。
lifeworkだったら馴染みがあります。でも、語感として「天職」とはちょっとニュアンスが違うような気がしました。そういった意味では、何かに呼ばれて、働くことに没頭しているイメージで「calling」の方がぴったりくると思いました。
私が働いていた市役所でもいろんな考え方の人がいました。先ほどの3つの分類のどれかに近い状態の人がいるなーとは思いましが、その人をそれでしっかり分類することには、疑問を感じました。
その人が「ジョブの人」「キャリアの人」「コーリングの人」とは分類するのはどうかなと思いました。そのときそのときの状態はそうであっても、たまたまその時にその状態なのであって、状況が変わったりすると違う側面が出てくるんじゃないかなと思いました。
ロバート・ベラーさんの論文をしっかり読んだわけではないので、軽々なことは書けないと思いますが、多分、ロバート・ベラーさんも分類して決めるような書き方はしてないんだろうなと思います。
でも、その状態を分類してくれたおかげて、考え方が整理されて対処方法というか人のそれこそ「キャリア」形成に役立つんだろうな思いました。
なんとなく「コーリング」の状態を目指すのがいいような感じを受けますが、そうやって決めつける考え方もよくないんだろうなと思います。
職業に貴賎なし
よく「職業に貴賎なし」と言いますよね。…..。と書こうとして、この言葉もついでに調べてみました。
この言葉は、江戸時代の学者、石田梅岩が言ったものようです。しかも、現代の我々は勘違いして使っている場合も多いようで、「どんな職業も平等だ」と考えがちですが、実はそうではなくて、「どのような職に着こうとも、人は皆、同じ価値を持つ人間なんだ。」と考えるのが本当のようです。
と考えると私が先ほど書こうとしてことも間違いだろうと思います。
「ジョブ」「キャリア」「コーリング」どの状態の人も同じような価値を持つ人間なのだろうけど、やはり、人生経験を積んでいくと、経験値では「ジョブ」<「キャリア」<「コーリング」という状態が形成されるのではないでしょうか。
だとしたら、やはり「コーリング」の状態の方が価値が高そうです。その人の価値は一緒でも、その状態の価値が違いそうですよね。
やはり、「コーリング」の働き方を目指す方が価値がありそうです。「天職」は「天命」という考え方にも少し近いのかもしれませんね。
役に立つ
それに「働く」ということは、誰かの役に立つということでもあります。誰かの役に立つようにしっかり頑張っていきたいものです。
退職して、今は無職の状態の私です。どこかの組織に所属していないと、なんだかばつが悪いとなんとなく感じてしまっていたような気がします。
そうではなくて、しっかり誰かのために「働く」ことを追求することが大切なんでしょうね。今日、ブログを書きながらそんなことも考えました。
組織に所属しなくなって、やっと気づけたことかなと思います。やはり37年間同じ組織で仕事をしていると、どこか組織にもたれかかっている自分になってしまっていたのかもしれません。
そういったことにも気づかせてもらえる今の環境に感謝しなければと思います。
I wrote about “working”. With the help of Robert Bellah and Ishida Baigan. It seems that it is more valuable to work hard to achieve what is called a vocation. People’s values are equal, but states’ values are not. let’s do our best.