「働く」ということ。雑感。

仕事

戸惑い

 働かなくなってだいぶ経ちます。というか、組織に所属しなくなって、ちょっと経ちます。の方が正確かもしれません。

 まだ、1月しか経っていませんので、他の人からいうと「なんだそれくらい」って期間かもしれません。それでも、これまでの時間を結構、戸惑いながら過ごしてきたように思います。

 退職する前は、洒落にならないくらい忙しくて、直前まで議会対策などやってましたので、退職後のことなど考えることもできずにいました。そして、自分自身でもあまり気にしていませんでした。

 それが、やはりその時は突然くるもので、組織に所属しなくなって、大きな空白の時間がドンとそこに置かれると、準備不足のものとしては、扱いかねてしまうようです。

人の役に立つ

 それも、1月も立つとだいぶ慣れてはきましたが、それでもやはり日々いろんなことを考えながら試行錯誤しながらの日々ということになります。

 仕事柄、役所の近くにある仕事はできないなと考えていましたので、なるべく近くでないところでひっそり社会の役に立つことをやろうと考えていましたが、これもやってみるとなかなかに難しいです。

 社会の役に立つことというとどうしても公共の分野が近くにきてしまいます。現役の時に、「共働」の時代だとか、自分で造語を作って「公域連携」だとか言っていましたが、自分がいざ役所の外側に立って公共を考えようとするとこんなにも難しいものかと実感してしまいます。

 そういった意味では、やはり役所は「公共」を独占しているようにも見えてしまいます。中にいたのでわかりますが、ほんとは決して、独占なんかしてなくて、むしろ広げようとしているんですけどね。

 それでも、役所の庁舎の中にいるのと外から見ているのとでは、大きな違いがあるように感じてしまいます。

 人の役に立つことを仕事にするということがこれほど贅沢なことだとは思いませんでした。今更ですが、そんなことを感じてしまいます。でも、それも、また、偏った感じ方で、私の方がまだまだ、社会生活の実相がしっかり見えていないのかもしれません。

「働く」ということ

 「働く」ということは、全て、人の役に立つということで、どんな仕事でも、そのこと自体が、「人の役にたつ」ということなのだということはわかっているつもりなのですが、庁舎の内外などでそんなことを感じてしまいます。

 いわゆる「政策」という仕事(役所的には事務事業)を束ねて、社会に影響を与えるという作業に慣れ親しみすぎたのかもしれません。

 政策⇨施策⇨事務事業⇨作業 なんて構図がすぐ思い浮かびますし、「生活、産業、福祉、教育、行政」なんて分野分けが、すぐに頭に浮かんでしまいます。

 長年、慣れ親しんできた習慣はなかなか抜けないものですね。今の生活にはそんなことは関係ないと思っているのですが、「働く」ということを考えたときにそういった思考になってしまいます。

いかん、いかん

 いかん、いかんと思いながら、農作業を行うわけですが、どうも頭に浮かんでしまいます。これも、慣れでしょうから、そのうちに解消されると思ってはいるのですが….。どうも。

 「働く」ということの意味を考えるということは「生きる」という意味を考える感覚に近くなってくるような気がします。先日、稲盛和夫さんの「生き方」という本の紹介をしましたが、それも、こんな感覚を持っているからなのでしょうか。

 今、畑に「カボチャ」の苗を植えています。これが大きくなったら、市場に持っていくつもりです。当然、収入を増やしたいという目的があるのですが、それ以外にも、市場の現実を実感して、市場の仕組み改善する提案ができないかなという思いが少しだけあります。

 こんなことを考える時点で、なんだかそれも違うよなーと考える自分自身がいることも事実です。普通の感じでなんで、市場に触れられないのだろうと考えてしまいます。どうしても、俯瞰して見ようとしてしまうんですよね。

 長年やってきた視線が、潜在意識の中の自分自身をそう作ってしまっているのかなーと考えてしまいます。それが、いいことなのかどうなのかは、わかりませんが、そうなってしまっているという実感はあります。

 そうですね。そこは考えないことにしましょう。

 とりあえず、1個1個の「働く」ということを積み上げていってみたいと思います。それから、最近、鈍くなってきたなと思う周りの人への「思いやり」の気持ちを再度、持ち上げて行きたいと思います。

 今の時間が先々でまた、「あんなだった。」と思えるように、しっかり今を過ごしたいと思います。全然、周囲の人と比較しても恵まれていると思える自分自身の環境でもあります。

 しっかり歩いていきたいと思います。本もたくさん読みたいと思います。

 そうですね。本を読みます。


Also, somehow, I wrote it as sloppy. Somehow, I was sloppy about “working”. Writing such a document is the worst thing to do. I thought, but I still wrote it. I think it’s partly because I’m curious about other methods.

タイトルとURLをコピーしました