自治体と危機、やはり「人」です。

生活

 いつものように朝起きてまず情報確認でGoogleとYahooのニュースを読みました。飛び込んできたのはやはり、新型コロナウイルスのニュースです。

 「大阪 医療ひっ迫 救急搬送に4時間 倒れても搬送されない場合も」こんなタイトルの記事でした。とんでも状態だなと思いました。これは災害だという記事を昨日みた気がしますが、本当にそうだと思いました。

 そこで、今日は「自治体と危機」について考えてみたいと思います。新型コロナウイルス感染症は間違いなく「危機」だと思います。それは、自治体のレベルを超えて、国、いや世界の危機でもあります。しかし、住民の身近に潜む紛れもない危機です。

 今、一番はこれかもしれないなと思いました。

自治体の危機3選

 それでは、自治体にとっての危機とはなんなのでしょう。新型コロナウイルスに関しては、確かにそうなのですが、ここでは、普段の感覚で考えてみたいと思います。

 実は、私の住んでいる街に大きなNIMBY(Not In My Back Yard)問題を抱えているので、今はそれだと思うのですが、そこは除いて考えてみたいと思います。

 災害

 やはり普通に危機を考えると最初に出てくるのは災害かもしれません。津波や大きな台風、地震など考えなければならない事案はとても多いです。私も最後は危機管理のセクションに所属していましたので、よくわかります。

 備えておかなければならないことも多く、物も人も準備不足というのが今の状態かもしれません。その準備のためにできることはしっかりやってきたつもりですが、それも、人に言わせると「つもり」で終わっているのかもしれません。

 退職してしまいましたが、私にできることがあれば精一杯協力をしようと思います。やることはいっぱいありますので本当に心配でたまりません。

 病気

 次の危機として「病気」を考えてしまいました。なぜ「感染症」とか「新型コロナウイルス」ではないかというと、人の病気だけではなく、農作物に発生する病気についても経済に大きな打撃を与えるという点で危機だと思うからです。

 私の住んでいる地域は農業が盛んですが、これまでいろんな病害虫や作物の病気に悩ませられてきました。「アリモドキゾウムシ」や「ジャンボタニシ」、「いもの基腐れ病」など色々です。

 昨年からは「いもの基腐れ病」が大きな問題となり、私たちの住む自治体としては、大きな予算を編成して対応しました。

 新型コロナウイルスの脅威の中、農作物の病気とも戦わなければなりませんでした。農家の皆様にとっては大きな負担だったのだろうと思います。

 財政

 財政問題もそうです。今でこそ、それほど切実な問題として語られていませんが(私の認識では)、かつて自分自身が財政再建のための組織のど真ん中で働いていた時には、とんでもなく大きな問題であり、危機対応でした。

 当時は、年間予算規模の2倍くらいの起債残高(借金)を抱え、財政調整基金は3000万円くらいというとんでもない状況でした。

 当時のニュースで、全国で財政状況の悪い地方公共団体ベスト10に選ばれたこともあります。当時は、結構無茶な予算削減も行いました。

 そうしないと予算編成ができなかったので、それは仕方のない措置でした。それでも、議会や市民、それ以上に職員から大きな批判を浴びたことを覚えています。

危機の原因や遠因

 自治体の危機に関して、3つほど書いてみました。これ以外にも多くの問題があるのだろうと思います。危機の原因と書いてしまいましたが、自然災害など直接的にはどうしようもない問題もあります。

 地震など地球の構造の問題でもありますので、発生頻度が多い場所に住んでいる場合、どうしようもないことでもあります。地震のない国や場所にいくしかないですからね。

 それでも、発生する原因や対応に問題がある場合については、「人」に問題があるケースが多いかと思います。そして、その危機に関して「当事者がいない」ケースがよくあります。

 先ほど、財政問題に関して、議会、住民、自治体職員全ての批判に晒された話を書きましたが、そのような問題があります。

 自分のこととして問題にあたるのではなくて、犯人探しをしてしまったり、人の批判に走ってしまうのが人の常なのかもしれません。

 どうして自分は「被害者」ではなくて「当事者」だと考えられないのかなーと思う瞬間はいつでもありました。それは、「災害」の時も「病気」の時も常にそうでした。

 新型コロナウイルス感染症の危機が差し迫っている時もそんなシーンがありました。初動では、国の法律が整理されていないこともあり(法改正で新型コロナウイルスが新型インフルエンザ関連法の対象になる前でした。)体制の整備ができていませんでした。

 それは仕方ない面でもあるのですが、やはり、そこには「嫌な仕事は引き受けたくない。」という気持ちが働いていたように覚えています。

 危機に直面するとそのようなシーンが多くなるような気がします。危機管理の体制整備が遅れる遠因ですらあるとも考えます。

じゃ、どうする?

 この言葉は、私が行財政改革の中心組織の責任者だった時に、たったひとりつけられた部下によく言っていた言葉です。

 今、考えるととてもかわいそうなことを言ったな思っています。困り果てているのに突き放すような言葉ですもんね。

 当時は、財政難を原因とした行革なんて誰もやりたくないし、できるだけ自分に影響することを避けたいという雰囲気でした。議員、住民はおろな同僚である市役所の職員にさえ、避けられる存在であり、とても仕事のしにくい環境で、依頼した仕事を職員がしてくれなくて、いつも彼女は困って私に相談していました。

 そんな時に、使っていた言葉が「じゃ、どうする?」でした。できない、してもらえない現実の話をしても何も始まりません。どうするのか考えて、少しづつ原因を取り除き現実に落とし込んでいくしかないのです。

 そのことを考えてもらうためにそんな言葉を発していました。でも、かわいそうなことをしたと反省もしています。

 財政問題だけではなく、災害でも、病害虫や感染症対策でもそうです。まず、現状を直視して、原因を特定し、解決のための手段を現実にできるところへ落とし込んでいくしかないのです。

 特効薬的な解決方法なんて、ほとんどの場合、存在しません。

最後はやはり「人」です。

 ということでやはり最後は人だろうと思います。その問題を直視し、「ひと事」ではなく「自分ごと」として、当事者意識をもち、周囲に気を配りながら、少しづつ解決の道を歩んでいく。そんな人を育てることも必要なのだろなと思いました。

 私は、最後の職場では、人事ももっていましたので、人の悩み事や困りごとも多く聞きました。研修もたくさん見てきましたし、自分自身が講師となってしゃべったこともあります。

 やはり、最後は人だと思います。当事者意識をもった人(市役所職員とは限りません)をどれだけ育てられるかで、自治体の危機管理体制の実効性が決まってくると思います。

 私自身は、自治体から離れてしまいましたが、優秀な職員がたくさんいることを知っています。彼らの今後の活躍を期待してブログを閉じたいと思います。

I thought about the crisis with the local government. The threat of the new corona is unstoppable. There is an urgent need to develop human resources for crisis response. Not only the new corona, but also local governments are faced with various crises such as disasters, illnesses, and finances, but I think that human resource development is indispensable for responding. After all it is a person.

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