政策と広報。何をやるのかどう見せるのか。

生活

 先日仕事場で、こんなシーンがありました。退職が目前に迫っている私は結局何も発言しませんでしたが、いろいろ考えさせられる場面でした。

 それは、来年度の予算についての説明をする場面でした。政策を作る職員が一生懸命取りまとめた文章を作ってきたのですが、どうも上司はそれが気に入らない様子でした。

「こういった政策の話があるのはわかる。でも、これでは伝わらない、もっと絵などを入れてわかりやすい伝わりやすいものにしてくれ。」そういう要求でした。

 政策を作ることに慣れした親しんだ自分としては結構オーソドックスに作ってありながらも、工夫された良い文章だと思いましたが、どうもこれではお気に召さない様子でした。

政策って何のためにあるのでしょう。

 そこに住んでいる住民の生活がより良くなること、そして住民が、ここに住んでいて良かったなぁと幸せを感じてくれるような地域を作ること、そういったことなのだろうと思います。なので、どう見せるかと言うのはあまり関係がないような気がします。

 大事なのは何をやるか、それを、どれだけ直接住民の皆さんに伝えて、そのことによってどれだけ幸せを感じていただけるか。そういったことなのではないでしょうか。

広報を否定しているわけではない

 広報活動それ自体を否定しているわけではありません。もちろん、広報は大切なのです。広報をすることによって、行政が意図したことを住民の皆さんにしっかり伝えること。それが大切な役割だろうと思います。

 しっかり広報活動を行って、しっかり住民の皆さんの意見も聞く。いわゆる広報広聴活動は、大事な役所のシステムだと思います。

 でも、なんだか住民の皆さんにしっかり伝えると言うよりも、それ以上のものを期待して何らかの意図を持って広報を行うと言うのはちょっと違うような気がします。

何をやるのかよりどう見せるのか

 政策に磨きをかける事は大切なことですが、どう見せるのか、そこにだけ力点を置くと言うのは違うと思います。

 やはり、しっかり政策を作っていて、住民の生活の中でそのことを効果的に行う。そういうことが、大事なのだろうと思います。

 何をやるかが大切なのであって、どう見せるのかが大切なわけではありません。より効果的に見せると言うのはあくまで付随的なことです。

 やはり大事なのは、産業振興、市民生活、福祉、教育、行政活動それぞれの分野でしっかりとした政策を組み立てていくこと、そのことが大切なことなのだろうと思います。

 退職が目の前に迫ったこの時期で、そういった基本的なことを考えなければならないと言う事はやはり少し気になります。

 後輩たちは、結構優れていて、私はしっかりやってくれると信じていますが、この雰囲気の中で、自分の主張をしっかりとやっていけるのか?

 やはりこういった点が少し心配になります。

 でも、やはり後輩をしっかり信じていくことにしましょう。私も庁舎の外からしっかり見守っていきたいと思います。


I thought about measures and public relations. Nowadays, I often read sentences that emphasize the importance of communicating and being easy to understand. But I wonder if that is all right. I’m not saying that public relations are not important. I think it’s a very important factor. But it is.

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