行革とは「最適化」。本気だと強力です。

生活

 今年の3月で地方公務員を退職した私ですが、現役時代は管理系のセクションに長く所属してました。総務課、企画課、財政課、行政経営課などです。

 色々辛い仕事もしましたが、中でも一番きつかったのは、私の在籍する市役所が、最もお金のない財政難の時代に、行政改革の仕事をした時でした。

 その時には、今考えればひどい話だと思いますが、行政改革と財政改革と事務改善の仕事を、別々のセクションで行っていたものを一つにまとめて、「行財政改革」なる単語を作り出して、それぞれ本部機能があったものを解体し、行財政改革推進本部なるものを立ち上げ、私がそこの責任者となりました。

 私も本格的に「行革」に取り組むのは、初めてだったこともあり、「行革」のなんたるかで、結構、悩みました。そこで、地方公共団体にとって「行革」とは、何なのかを考えてみたいと思います。

地方にとっての行革とは

 結論を先に書きます。当時の私が、同僚職員とともに、悩みに悩んだ末に行き着いた答えは、たった3文字でした。

 それは、「最適化」です。

 当時は、市町村合併全盛の時代で、合併できなければ、街がなくなるというくらいの話が一般的にされていました。

 国の方も、「三位一体の改革」という名目で、地方の財源である「地方交付税」のカットに力を入れていました。なので、「財政再建が一番だ、財源をどうにかしないと地方はもたない。」という声が大きく、予算のカット、給与のカットなどが一般的に行われていました。

 でも、行革を背負わされた我々は苦しみながらも、「そうじゃないよな。」という感覚があったので、「最適化」という考えに辿り着きました。

最適化には、4種類あります。経営資源に「最適化」をつけただけですが、次の3つです。

  • 人の最適化
  • お金の最適化
  • 物の最適化
  • 情報の最適化

以上の3つです。中身を一つづつ見てみます。

人の最適化

 人の「最適化」とは、必要な人材が必要な部署に最適に配置されている状態のことです。単純に人をカットするばかりではなくて、人の入れ物である組織を最適することに注力して、かつ、人材育成に努める必要があります。

 よって、当時の私たちは、即効性のある機構改革にまず、最初に取り組みました。組織のスリム化ではなく、組織の「最適化」です。

 しかし、一般の職員のとっては、なるべくたくさんの職員がいた方が楽だという認識が大きかったこともあったのでしょう。結構な抵抗を受けました。

お金の最適化

 お金の「最適化」も難しい課題でした。すぐに思い浮かぶのが、予算のカットですが、予算はカットすればいいというものではありません。

 必要なところには、必要な予算はつけるべきです。なので、一律カットのようなことはできるだけ避けて(非常時事態にはこれもやりました。)、しっかり、予算配分をする仕組みを作ることを目指しました。

 そのために、予算を目的思考で考えたときの最小単位である「事務事業」の改善に取り組むために、事務事業評価システムを取り入れて、徹底的に事務事業を見直しました。

 そのためには、外部の力が必要だと考えて、当時、事務事業評価の第一人者だったJMACの星野さんの力を借りました。

 数年かけて、仕組みを作り上げ、今でも、その仕組みが予算編成の基礎となっています。それでも、やはり、”難しい仕事は避けたい、なるべく面倒臭いことはしたくない”職員からは、随分嫌われ、陰で色々言われたりもしました。

物の最適化

 物の最適化は、お金の最適化の時に取り組んだ事務事業評価システムを活用して、不必要な物品の購入はできるだけ避ける予算編成作業を行いました。

 同時に、自治体にとっては、結構、大きな「もの」である施設についても切り込みを入れて、当時、導入を進められていた「指定管理者制度」などを活用して、施設管理の最適化を目指しました。

 その時には、直接の仕事の担当は、財産管理のセクションであったため、行政財産の最適化のためのスキームを若手職員を中心に策定してもらい、物の最適化を目指しました。

 この仕組みの導入には、結構、年数を要しましたが、今では順調に運営がなされています。

情報の最適化

 情報の「最適化」というとIT関係のことを想像しがちです。もちろん、その分野にも取り組んでもらい、庁内の電算化の仕事にも取り組みました。余談ですが、最初に大規模な電算組織の導入に取り組んだのは、私がまだ20代の時でした。

 IT化の推進も大切です。しかし、今では信じられられませんが、当時は、庁内で情報を共有する仕組みがありませんでした。

 情報は全て縦割りで、市長に全ての決裁を求める意思決定のやり方で、他の課の仕事には口を出さない雰囲気で仕事をしていました。そんなやり方でもどうにか自治体経営ができる時代が長く続いていたんですね。

 そういったことをなくすために全体で意思決定をする「庁議システム」を構築しました。現在でも、経営会議などの名称で続いています。

まとめ

 行革について考えてみました。私たちがたどり着いた結論は、「最適化」でした。そして、それに向けて、「人」「物」「お金」「情報」いわゆる経営の4資源に関して、最適化を追求してきました。

 当初は、とても苦しい時代が続きましたが、一環した姿勢で取り組んでいくことで、職員からも徐々に理解されてきたのではないかと思います。

 「逃げ」のような姿勢で取り組んでも人はわかります。騙せません。本当に考え抜いて、本気で取り組んだからこそ、今の状況ができたのだろうと思います。

 長い時間が必要でしたが、起債残高で約80億円改善させ、基金残高で約30億円改善させましたので、あの苦しい時代にもがいたおかげで約100億円改善させることができました。

全ての取り組みは「最適化」の3文字から始まっています。

 本気で取り組む「最適化」のパワーはとても強力です。これから引き継ぐ職員の頑張りにも期待したいと思います。

At the beginning of the administrative reform, I had a lot of trouble, but I came up with the idea of ​​”optimization” and it became much easier. I think we were able to make a meaningful effort by avoiding attrition warfare that only cuts people and money. I think it was because I didn’t run away that I was able to make such an effort.

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