NIMBY問題と住民と自治

生活

NIMBY問題

 NIMBYとは、Not in my back yardの略で要するに、「それは必要なのだろうが、私の家の裏には建てないでくれ。」という主張です。語源については、アメリカで原子力発電所の問題があったときに使われ始めたようです。

 どのような施設が問題だと考えられているかというと、原子力発電などの核関連施設、軍事施設、清掃工場、ゴミの最終処分場などがあるようですがちょっと、意味合いが違うのかなと思うのは、普通の学校、保育園、幼稚園などもその対象に入っていることです。

 後段のほうの施設はそんなに大迷惑だとは感じないと思います。でも、そうなると少し「住民エゴ」の匂いが大きくなります。

 原子力発電所等核関連施設、軍事関連施設となるとその必要性の部分から議論になるような気がします。

増えてきたと言われるNIMBY問題

 最近は、このNIMBY問題が増えてきているとも言われているようです。その原因の1つは高齢化だという話もあります。

 高齢になると自分や自分の家族、子孫に便益性がないと、必要な施設でも、自分にとっては関係のない迷惑施設だと感じてしまう人が多くなると記事に書いてありました。

 少し寂しい感じがしますが。そうなのかもしれません。

迷惑施設と住民と自治

 スイスでの話で、どうしても原子力発電から出る核ごみの最終処分場を作らないといけなくなったときの記事を読みました。

 スイス国内では、どうしても必要な施設だとの認識があって、国の方針として、ある場所を決めようとしたそうです。その時に、決まりそうになった小さな寒村の住民にアンケート調査をしたところ、受け入れてもいいと言う人が過半数を超えたということです。

 面白いのはこの先で、住民に立地のための補償をすることを説明してアンケートをやり直したら、受け入れていいという人が過半数に達しなかったということです。

 この話が本当かどうかは、私は知りようもありませんが本当だとしたら、深く考えさせられる話でした。

 「自治の有り様」「自治と国の関係」というのは、日本の国では、課題が多いように感じてしまいます。  

未来を考える想像力

 自分を含む地域の未来を考えるときに、どのようなことを考えるのか、未来に対する想像力を相当膨らませないと、この種の課題を克服するのは難しいことのように感じます。

 自分や自分の家族、子孫もそうだけど、そういったことも含めた「地域全体の未来を愛おしむ心」そういったものは、一朝一夕には生まれないのかもしれません。

 そういえば、スイスは永世中立国ですよね。自分たちのことは自分たちで考えるDNAがしっかり根付いているのかもしれません。

まとめ

 NIMBY問題と住民と自治について考えてみました。ずっと生きていく地域の未来をしっかり想像して、しっかり未来を選択していくことが大事なようです。

 それでも、その選択の結果は多分みんなバラバラなのだろうと思います。それぞれの想像力の源泉は日常の積み上げでしか得られないのだろうと思うからです。

 しかし、どんな結論であろうと、反NIMBY問題的な考え方も取り入れ、他者の選択の結果もしっかり受け入れられるそんな地域であって欲しいと思います。

 NIMBY問題が発生したときに、大声を上げるのではなく、静かにじっと見ている人たちは、実は、そんな価値観を持っている人なのかもしれません。

 人を大切にして生きていきたいものです。

I thought about the NIMBY problem and the residents and autonomy. Also aboutresidents and autonomy. It is also related to the essence of autonomy. I feel that the imagination of the residents for the future is important for strengthening the power of autonomy. And the soil of democracy that respects the way of thinking of each individual is also important.

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