市町村合併の功罪 私見・感想です。

生活

 現在、行政の1番の課題は、新型コロナウイルス感染症でしょう。どこの地域も感染の防止対策とワクチン接種への対応で、一生懸命です。

 今を遡ること20数年以上前は、大きな課題として、日本中で市町村合併への対応があげられていました。

 国も市町村合併を推し進めるに躍起で、県でも市町村合併に一生懸命だったのを覚えています。合併をしない市町村にはまるで未来などないような雰囲気でした。

 私も担当者として、最初から最後まで自分の所属する自治体での議論や推進活動などを見てきました。今日はそのことを少し書いてみます。

 結論を先に書くと、なんだか国に振り回されただけだったーというのが今の感想です。当時は、推進的な発言をしないといけない立場だったので、住民説明会などで20分ほど最初に説明をする役目でしたが、今、考えるとなんだかなーと思ってしまいます。

平成の市町村合併とは

 それでは、平成の大合併と言われた市町村合併はどんなことだったのか、少し書いて見ます。

 1995年(平成7年)の地方分権一括法による合併特例法の改正により1999年(平成11年)から2006年(平成18年)までに市町村数が3,232から1,821に減少するという動きがありました。これが「平成の大合併」です。

 本当に当時は、これをしないとどうにもならないという感じで推進されていたように覚えています。合併特例債というアメが準備され、地方交付税の削減というムチの政策も行われました。

 合併しないとこれから予算が組めないよという風潮が意図されたかどうかわかりませんが、ありました。

市町村合併で取り組んだこと

 それでは、当時を思い出しながら私のいた自治体での市町村合併に関する取り組みの状況を書いてみます。

広域組織での議論

 まず、最初は、市町村合併についての研究をしてみようということで、広域組織の中で研究が行われました。

 当時私は、その広域組織の事務局をしていましたので、県の指導もいただきながら市町村合併が如何なるものか研究しながらレポートを書いたのを覚えています。

 当時は、推進するのが当然のような雰囲気でしたので、広域組織での研究発表は、合併を推し進めるものだったように思います。

任意合併協議会

 合併の協議をするためには、しっかり法令が準備されていましたので、法令に乗っ取った協議方法もありました。法令協議会といやつです。

 しかしながら、私たちの広域協議会では、任意で協議会を作ってそこで、話し合いをしようということになりました。

 それぞれの自治体から職員を出して、協議のための部署が作られました。私の所属する自治体からも職員が1名派遣されました。私は、自治体に残り、合併の担当者をすることになりました。

 合併協議の項目整理、コンサルタントによる今後の財政状況の予測などが行われました。当然、財政状況の予測は厳しいものになります。

 協議順が話し合われ、最初に「庁舎の位置」が協議事項となりました。各自治体へ交互に訪問しながら、事務レベル、副市長レベル、首長レベルで協議が何度も行われましたが、「庁舎の位置」の協議から一歩も前に進みませんでした。

 結局、全然進まないまま協議会は解散となります。ちなみに解散の時の最後のレポートは私と、のちに行革の部下となる後輩2人で作りました。

任意合併協議会終了後

 任意合併協議会の解散後は、検討対象市町の組み替えも行われ検討が行われましたが、結局、うまく行きませんでした。

 その後、私の所属するまちは、行財政改革を進めることになり、私がその推進組織の初代係長になりました。

 初代と書きましたが、2代目はいません。私たちだけで終わりの組織でした。愚痴になりますが、権限も財源もない組織でしたので、ポンと投げ出されたような感じすらしました。

 地方交付税が削減され、財政状況が悪くなるのが目に見えているからどうにかしようということです。市町村合併って何だったのかを象徴するような出来事だと思います。

市町村合併の功罪(全くの感想です)

 市町村合併の功罪と書きましたが、研究者が書く、論文的なものは他にもたくさんあると思いますので、ここでは、当時の時代に翻弄され、担当した1担当者の感想として、書いてみたいと思います。

 いわゆる市町村合併のメリット・デメリットは国や県の資料を見ながら、書いていたように思います。なので表面的な資料は他にもたくさんあると思いますので、それを見てください。

 なんとなく担当者として感じるのが、せっかく仲良く隣同士で広域行政を頑張ってきた自治体同士が、ギクシャクした関係になってしまったなーと感じることです。

 本当に国に振り回されただけに感じます。当時のあの熱はなんだったのでしょうか。その後は、いろんなことを国が言ってきても、どこか構えて聞いてしまう自分がいます。

 地方制度調査会の議論は本当によく見たましたが、その後、全く見なくなりました。

まとめ

 市町村合併について、書いてみました。振り返ると国に振り回されただけだなーとの印象です。国の財政状況が悪くなったので、地方交付税を削減したいというのが主軸ならば、そう議論をすべきだったのではないでしょうか。

 また、国の財政状況は、当時よりも今の方が悪いです。なのに今は地方交付税の議論なんてありません。

 この状況について、いつも、自分たちは検証し考えておかなければならないと思います。地方自治は、突き詰めて考えると本当に難しいです。

 財源確保など安易な手段に流れていってしまいがちですが、熟慮しながら自治体運営は行っていく必要があると思います。

I wrote about the merger of cities, towns and villages. I wrote it as merit and demerit in the title, but the content is the impression as the person in charge at that time. I think there are other things that have been analyzed professionally, so please refer to other documents for a full-scale analysis. The conclusion (impression) is that “I was swayed by the country.”

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