私の勤めている「まち」は、16年ほど前に日本で10本の指に入る財政状況の悪い「まち」でした。その当時、私は行革を命ぜられ、部下を1人与えられてその取り組みを始めることになります。
その時に取り組んだ財政再建のやり方について少し紹介してみたいと思います。大きく分けてやった事は3点です。
- 体制の整備
- 固定費の削減
- 借金の仕方の工夫
この3点です。以下それぞれこの3点について述べてみたいと思います。
体制の整備
意思決定の仕組み作り
私は財政部門にも所属したことがあります。その当時から、外から見えないところで財政部門が査定を行い、事業が決められていくのはあまり良くないと考えていました。
そこで、予算の編成過程、計画の策定過程をみんなで見ることができる、そんな仕組みを作ろうと思いそのことに取り組みました。
そのためにやったのは、政策形成過程をみんなの前にさらす事です。そのために意思決定の仕組みを庁議という形で作ることを考え、その仕組みを整理して現実のものとしました。
えっ、「庁議」って思うかもしれません。今じゃ、そんなの当たり前ですからね。でも、驚くなかれ、当時は、そんな意思決定の仕組みすらありませんでした。
起案で、文書を回して、首長が決裁したら終わり。大袈裟に言うとそんな感じです。
組織機構改革
意思決定の仕組みを作っても、それをしっかり動かす組織体系ができていなければなりません。それと短期間で大きな仕事をするためには強力な仕組みが必要です。
なので、私は、意思決定の仕組み作りと同時に組織機構改革に取り組みました。財政部門を解体して計画部門とくっつけ、「行政経営」と言う考え方での組織を作ることになります。
固定費の削減
人件費の振替
行革の計画を作りながら取り組んだのが人件費の振替です。民間でやれるようなことや、単純労務を振り替える作業行いました。
ただし時間をかけて、職員が嫌がるようなやり方はせず、納得してもらいながら少しずつ変えていくことを心がけました。
その結果、けっこうな部分を人件費から物件費に振り返ることができたと思っています。会計年度任用職員制度が導入された今はもう賃金の費目はありませんが、その当時は賃金で働く経費は、財政の性質別分類では物件費とよんでいました。
まさに人件費を賃金という物件費に振り返る作業を行ったのです。
償還金の削減
その当時は、たくさんの借金がありました、いわゆる起債残高がとてつもなくあったのです。そのたくさんある借金の繰り上げ償還を行いました。
当時はまだ金利の高い起債もたくさん残っていたので。片っ端から高い金利の起債は繰り上げ償還を行いました。そのことによって償還金を削減することができました。
借金の仕方の工夫
起債種別の変更
毎年事業を行うためには、どうしても地方債を借りなければなりません。しかし地方債を借りるにしても有利な借金の仕方と言うものがあります。
当時は一般公共事業債を結構使って港作りなどしていましたが、すべて有利な辺地債や過疎債の借用に変えて行きました。
地方債は、借金ではありますが、種別によって、地方交付税でお金が帰ってくるものがあります。その制度を目一杯利用しました。
起債量のコントロール
償還金元金を超えない範囲で起債をすることに心がけました。そのために、隠れたところで意思決定ができないようにみんなの前で議論をする仕組みをつくりました。
長期振興計画の実施計画の中でのローリング作業を毎年行うことを取り入れました。それまでは実施事業のローリングなど存在しなかったのです。
企画課は作文をするだけの係のような感じでした。そこで、全体をコントロールをする仕組み、しかもみんなの目の前で行う仕組みを考えてつくりました。
まとめ
10年位かけて、ゆっくりゆっくり行財政改革に取り組みましたが、できた要因はこれまでに書いた3つの項目のような取り組みです。
ですが、やはり結局はみんなの協力があったからだと思います。財政再建をしようと思ったら、人の協力は欠かせません。
いろんな手段を考えることはできますが、実行することはとても難しいです。
これまで書いてきたようなことを参考にしながら、人を大切にして、人と一緒に作る財政再建であって欲しいと思います。
結局は人です。財政再建は人なのです。
From about 16 years ago, I worked on financial reconstruction for about 10 years. I will teach you how to do it and experience. We were able to reduce the ridiculous amount of bond issuance balance to about 60%, and we were able to reduce the fund, which was only tens of millions of yen, to billions of yen. I will teach you how to do it.