新型コロナウィルス感染症の猛威が止まりません。今年の春先から、ずっと自治体職員として向き合ってきましたが、とてもしんどい思いもしました。そして、今も継続中です。
私の所属する部署は感染症を所管するところではありませんので、直接関係ないと言えば関係ないのですが、包括的な危機管理を所管していますので、最初の頃は、そういった角度から関与していました。
というか、最初は法律もなく、無理矢理引っ張ってきた感じさえします。周囲の職員は、この人は何をやっているのだろう。とさえ思われていた感じがあります。
今も危機は続いていますし、現場の課題に対応していかなければなりません。当然スタッフとして頑張るわけですが、一個人として気づいたことがありますので、少し書いてみます。
習慣が変わった。
個人的には、ずいぶん習慣が変わったと思っています。それも、変えようと思って変えたのではなく、無理矢理コロナウイルスに変えさせられた。そんな感じです。
いろんなイベントや行事がなくなり、みんなで上りをしたり、懇親会を行う機会がとても減りました。飲み会も激減し、普段仕事仲間や後輩と行っていた飲み会もほとんどなくなりました。
そして決まった時間に帰宅するようになったので、規則正しい生活がやりやすくなりました。
毎日の習慣になっていること。
そのおかげでできた習慣が、9時30分以降は酒を飲まない。朝の4時ごろには起きる。毎日英単語の勉強を50個やる。ドットインストールでプログラミングを1単位勉強する。というものです。
実際には書いた以上にやっています。これ以外には、勉強ではありませんが、8分間の瞑想や、玄関の掃除、お店の掃除も毎日やっています。
毎日が規則的なので、あまり行うことも苦になりません。現時点で、これらの取り組みでどうなると言うことではありませんが、結構良い方向に進んでいる感じがします。
コロナが変える日常。
新型コロナウィルスは本当に日常を変えました。当初は、とても苦痛で、とても嫌な日常でしたが慣れてくると、これはこれで心地良いものだなと思うようになりました。
あんなにたくさんあった会議や行事も本当に少なくなり、当初寂しくはありましたが、「これってなくてもいいんじゃない?」という気づきも結構あったような感じがします。
新型コロナウィルスの存在は、当然歓迎できるものではありませんが、1つの現実を我々に見せてくれたような気もします。
人の日常なんて、ウィルス1つで変わるものなのですね。これも1つの現実なのでしょう。日々流転。日々変化。諸行無常。仏陀の教えは、今も生きている感じがします。
常ならむものに心をとめない。
常ならむものに心をとめて悩む事は、無意味なことだと思います。
無意味でも、悩まないといけない場合もあります。でも、無意味だとわかって悩むのと、とても意味あることとして悩むのではおのずと結果に違いが出てくるのではないでしょうか。
悩みは、あります。苦痛もあります。
でも、それは単に「ある」というだけでそれ以上でもそれ以下でもないとわかると心が楽になるように思えてきます。
The new coronavirus is rampant. Everyday has changed. But I think there were some good things. I wrote a little about that. The existence of the new coronavirus is unwelcome. I hate it very much. But depending on what you have in mind …